7月1日

 

 

6月1日、長女を出産した。

10ヶ月に及ぶ妊娠生活を主に書いていこうと思う。トツキトオカ、いろんなことがあった。

 

 

 

 

 


「将来子どもが産まれたらさ〜…」

「子どもは何人くらいほしいかな?」

なんてことを雑談することもあり、当初から夫婦2人とも子どもがいる生活を希望していた。

 

 

 

2人暮らしを始めて2年、結婚して半年。

結婚式、結婚パーティー、ハネムーンを終えたのでそろそろ子どもを考えようかと2人で話し合った。

子どもは授かりものという考えもあったため、特に妊活を一生懸命したわけではなく、避妊を辞めて半年弱でお腹に赤ちゃんがやってきてくれた。

※妊活をしていないと言っても生理周期を把握したり、冷えないように心がけたり、その程度のことは気を付けていた

 

 


赤ちゃんを授かり、妊娠生活が始まった。

 

 

 

 

 


□ 妊娠判明

 
9月下旬、なんだか下腹部に違和感を感じる。生理予定日の前にも関わらず「妊娠したかも」となんとなく感じた。生理予定日になっても生理が始まらない。通常は予定日の1週間後から使用できる妊娠検査薬だが、ソワソワしたので予定日の3日後くらいにフライングで夫に隠れてこっそり使用した。

 

 

 

するとうっすら陽性サインが出た。

ただ、予定日の1週間後より前に使用した場合は偽陽性が出る可能性があるため、陽性ということは一応夫に報告したが「また1週間後に使ってみよう」ということに。

喜んでも偽陽性だったら落ち込んでしまうためなるべく平常心で通常通りに生活をした。(内心はすごくドキドキしていたけれど…)

生理予定日より1週間経っても生理が始まらないため改めて検査薬を使用。するとはっきり陽性ラインが出たため、10月2日に産婦人科を受診した。

 

 

 

エコー検査にて子宮内に胎嚢(赤ちゃんが育つ袋のようなもの)がはっきり映っていたため妊娠が判った。

ただ、初期流産の可能性は高く心拍がはっきり確認できるまでは安心できないため2週間後に再診することに。

2週間後の再診でパクパク動く心拍を確認できたので妊娠確定となった。

 

 

 

妊娠が確定して、もちろん嬉しかったのだけどお腹がすぐに出るわけでもないし、何も変化を感じないのであまり実感が湧かなかった。自分の身体の中で新しい命が誕生したことがただただ不思議だったことを覚えている。

母子手帳の交付を受けに区役所へ行き、本格的な妊婦生活がスタートする。

 

 

 

 


□ 妊娠初期


妊娠が判って少しずつつわりが始まる。最初は少し気持ち悪いなと思う程度。それがだんだん酷くなっていった。わたしがダメになったものはこれ。


・和食、特に出汁の匂いや味

・人混みなどいろんな匂いが混じった空間

・空腹感


和食は大好きなのにつわりの期間中は本当に関わりたくなかった。特にお味噌汁は受け付けなかった。

人混みも特に苦手になった。

特に辛かったのは空腹感。少しでもお腹が空くとすぐに気持ち悪くなる。だからと言って、固形物を食べても気持ち悪くなることもあった。

看護師として働いていたため仕事が辛かった。

配膳時や食事介助時の食事の匂いで気持ち悪くなるし、患者さんの匂いや排泄物の匂いなどいろんな匂いがする環境。最悪だった。

 

 

 

特に夜勤をしていたときは朝方にお腹が空くため、空腹にならないようにおにぎりなど食べて対策しても気持ち悪くなる。何度も気持ち悪くなりながら業務をこなしていた。時にはトイレに駆け込んで嘔吐することもあった。 

つわりがピークに達する頃、本当に辛かったから職場に相談して夜勤をやめた。

 

 


匂いに関してはマスクをして対策。

食事は必然と洋食が多くなった。特にケチャップは酸味と甘味があり食べやすかった。それから空腹にならないように比較的気持ち悪くならなかったゼリー飲料を常に常備してこまめに飲むようにしていた。

 

 

 

 

 

□ 妊娠中期

 

妊娠中期になると少しずつつわりも落ち着いてきて余裕が出てきた。

とは言っても、体調が悪くなることはあるので無理しないように自分の体調と相談しながら生活をしていた。

調子がよければ夫とお散歩したり遠出したりして今しかできないことをやった。

熱海に日帰り旅行にも行けた。

お腹も少しずつ目立つようになり、自分が妊婦なんだと自覚できるようになった。

 

 


ベビー用品など検討し出したのもこの時期。

ベビー用品はいちいち可愛くて何買おうかなって考えるのはすごく楽しかったし、赤ちゃんが産まれてくるのが待ち遠しく思うようになった。

 

 

 

 

 

□ 妊娠後期

 

どんどん大きく重たくなるお腹。ナース服もマタニティ用になる。

 

 

 

妊娠後期の頃にコロナが流行しだす。

職場もコロナ病棟(感染した患者が入院する病棟)が出来たので、常にコロナウイルスと隣り合わせの環境でヒヤヒヤしていた。職場の配慮もあり、コロナ疑いの人が入院してきても接触しないように受け持ちを外してもらったり、有休を使って予定していた産休より早めに産休に入らせてもらったりした。

 

 

 

産休に入ってからは外出自粛のためほとんど家の中で生活する。夫も在宅勤務になったため、2人で家の中で過ごした。こんなに2人で過ごす時間は付き合ってからも含めて初めてだった。24時間同じ空間で過ごすのでどうなるかと思ったけど、ケンカもせず毎日楽しく過ごした。出産前にこうやってゆっくり2人で過ごせたのである意味よかったのかもしれない。

 

 


家の中にいるだけでは太るし体力も落ちるため、ウォーキングやスクワットや床掃除など妊婦でもできることを始めた。

予定日が近づくにつれてソワソワドキドキ。

でも出産兆候が全くなくて健診でも「うーんまだかな」って言われて待ちくたびれてかなり落ち込んでしまう。

がんばってウォーキングしたりスクワットするけど効果が出ないことや、お腹が重くて仰向けに眠れないし寝返りも打てないこと、ホルモンの影響でまとまった睡眠がとれずに夜中に目が覚めて再入眠できないこと、「まだ産まれない?」っていう親や友達からのメッセージに対してプレッシャーが重かったことなどで落ち込んでしまった。

5月30日が予定日だったけれど、産まれないため6月1日に陣痛促進剤を使用する誘発分娩の予定になった。

 

 

 

 


□ 出産、育児


6月1日に陣痛促進剤を使い、壮絶な痛みとともに長女を出産した。経験したことのない痛みだったけど、五体満足に無事に産まれてきてくれて泣き声を聞いたら痛みなんか忘れて喜びに変わった。

 

 


6月5日に退院して夫と赤ちゃん、猫との生活が始まった。

 

 


赤ちゃんはとにかく泣く。お腹が空いた、おしっこが出てなんか気持ち悪い、眠たいのに眠れない、暇だからかまってほしい、どこか触ってほしい、抱っこしてほしい、立ちながらゆらゆら揺れてほしい、暑い寒い、など全ての欲求を泣くことで表す。

最初は何で泣いてるのか本当に分からなくて何時間も泣き止まない赤ちゃんにイライラすることもあった。

赤ちゃんと過ごし始めて1ヶ月が経ち、少しずつだけど何で泣いているか、なんとなく赤ちゃんの欲求が分かる様になってきた。そうすると少し余裕が生まれてくる。

 

 

 

最近は、動くものを目で追うことができるようになった。たまたまかもしれないが、あやすと笑うこともある。「あー」とか「んんー」とか可愛い声を出すこともある。

できなかったことができるようになる瞬間をみるのは楽しい。そして可愛い。

 

 


おっぱいあげて、オムツ変えて、寝かしつけてたらあっという間に1日が終わるし、そんなこと繰り返してたらあっという間に1ヶ月が終わった。

こうやってすごい速さで時が過ぎていくんだろうな。

 

 


夫も8月上旬まで育休をとってくれたので、家事を含め赤ちゃんや猫のお世話もいろいろやってくれている。そのおかげで結構ゆっくり休めてる。本当に助かってる。ありがたい。

ただ、寝かしつけの時に変な即興子守唄を歌って赤ちゃんが困惑した表情しているけど…

 

 

 

妊娠中、ある友人に報告した時に

「この2人の元に産まれたら絶対楽しいよ!2人の元にやってきた赤ちゃんは幸せ者だね!」

って言ってくれた友人がいた。

そう言ってくれたのがすごく嬉しかった。

 


家族みんなで楽しく幸せに過ごしていけたらいいな。この小さな赤ちゃん、大きく育てます。

 

 


今後とも、ゆるたくハウスをよろしくね

 

 

 

3月25日

 

 

 

 


3月22日  ばあちゃんが息を引き取った

3月2日に78歳になったばかりだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1月に脳梗塞で入院した。

あんなにお喋りだったばあちゃんは、言葉を発することが出来なくなり、意思疎通困難となった。

口から食べることもできなくなり、鼻から管を入れて栄養剤を入れていた。

 

 

 

 

 

 

元々リウマチもあり、車椅子生活で身体は不自由だったが、脳梗塞で寝たきりになった。

入院中に骨髄炎を起こし、さらに状態は悪くなった。輸血が必要なほど貧血にもなり、白血球もグッと減っていた。

 

 

 

 

 

 

なんとか治療を続けていたが、21日の夕方、母から「今日は病院に泊まる」と知らせを受けた。

看護師をしているから、その理由は十分にわかる。ばあちゃんの容態が危ないからだ。

でも母から話を聞くとまだもう少し大丈夫そうだった。

24日が夜勤明けだったため、その後に地元に帰るつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 


22日の朝、脈拍が下がってきて、呼吸も変わってきた知らせを受けた。ばあちゃんが危ない。

日勤予定だったため、まず職場に行き、上司に直談判。ばあちゃんの容態が危ないから今すぐ地元に帰りたいと伝えた。

上司もすぐに勤務変更を組んでくれて、

「これで帰れるよ、行ってきなさい」と言ってくれた。職場の人たちも受け入れてくれ、見送ってくれた。

その場で涙が溢れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 


バタバタ準備して航空券を予約しながら羽田空港へ。

脈拍も20台まで下がっているという連絡を受けながら、「どうか間に合ってくれ」という気持ちだけで福岡へ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

空港からタクシーで病院へ行き、病室へ入るとまだばあちゃんは生きてた。

相変わらず脈拍は20台であったが、一生懸命呼吸していた。

ばあちゃん、と声をかけると、目をガッと開けて「あぁ…」という声を漏らした。

すでにかけつけていた家族は、「初めて目を開けて声が出た」と驚いてる様子。

どうやら、わたしがきたことが分かったみたいだった。しかしその15分後、心停止。

 

 

 

 

 

 

 


声をかけるとまた心臓が動き出し、チェーン・ストークス呼吸であったがまた息を吹き返した。

そんなことが3~4回繰り返されながら1時間後、みんなに囲まれて死亡が確認された。

 

 

 

 

 

 

 


仕事柄、死亡確認に立ち会うことは多いが、

やはり自分のばあちゃんとなると状況は違う。

死亡確認の後、走馬灯のように、ばあちゃんとの思い出が駆け巡り、視界がぼやけ、大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

 


最後は本当に穏やかな顔をしていた。

看護師として、たくさんの人を看取ってきたが、あんなに穏やかで綺麗な顔は、ばあちゃんが群を抜いて1番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


朝からずっと脈拍が20~30台だったとのこと。

ばあちゃんよくがんばったね。痛かったね。つらかったね。

心から間に合ってよかったと思った。

 

 

 

 

 

 

 


看護師とともにエンゼルケアを行った。

まだあたたかくて、また目を開けるのではないかと期待してしまう。

出血の跡などを綺麗にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに、呆けたことを言うがまだ頭もしっかりしてたばあちゃん。

わたしが地元に帰るととても喜んでくれて、たくさん近況を聞いてきたばあちゃん。

結婚を本当によろこんでくれたばあちゃん。

わたしが東京に行く時、他の家族には猛反対されたが、唯一賛成してくれて背中を押してくれたばあちゃん。

わたしには父がいないため、わたしにとってたった1人のばあちゃん。

子どもの時から本当に可愛がってくれて育ててくれたばあちゃん。

元気な頃は庭中お花だらけにして、お花が大好きだったばあちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まだ78歳だったばあちゃん。あまりにも早すぎる。生きてるうちに夫を紹介したかったな。なんだかんだ都合がつかず夫を会わせられなかった。

ひ孫を抱かせてあげたかったな。

一緒に桜を見に生きたかったな。

まだまだたくさんお喋りしたかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


思い返すと、涙が溢れてくる。

1月にばあちゃんが脳梗塞になってだんだん悪くなり、初めて東京に出てきたのを悔やんだ。

地元にいれば、もっとばあちゃんと時間を共有できたのに、と後悔してもしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬儀場に来て、ばあちゃんの話をしながらみんなで泣いた。

日本のしきたりはとても細かくとても多い。葬儀のため、あれやこれやたくさん決め事があった。

母を中心に、悲しむ間も無く淡々と葬儀の話を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じいちゃんは「いくらお金をかけていい。花が大好きだったからお花畑みたいにしてほしい」と言った。愛を感じ、胸が温まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お通夜、お葬式などを終え、納棺の時

棺の中にたくさんのお花をこれでもか、というくらい入れた

本当にお花畑の中で眠っているようだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火葬の前、「最後のお別れです」とのアナウンス

ばあちゃんの姿がなくなってしまう、顔が見られなくなる、触れなくなると思うと、嫌で嫌でしょうがなかった。

「やだ…やだ…」と言いながら子どもみたいに泣いてしまった。涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


火葬を終え、収骨を終え、すべて終わっても、未だにばあちゃんが居なくなったことに実感が湧かない。

 


家族で揃った時に、ばあちゃんが居なくても、まだ病院に入院してるんだろうなと思ってしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だいすきだったばあちゃん

本当に居なくなってしまったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天国では、リウマチの痛みが取れ、

病気とは無縁で、

たくさんの人とお喋りをして、

美味しいものを食べて、

お花に囲まれて、暮らしてほしい。

そしてわたしたちを見守っていてね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


喪失感に溢れている私は、明日からの仕事のため東京へ戻ってきた。

いつもと変わらぬ仕事がある。

4月には結婚披露パーティーもあるし、旅行もある

ずっと落ち込んでいるわけにもいかない

気張っていこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばあちゃんとの思い出を胸に刻みながら

明日からの日々を過ごしていく

10月24日

 

 

20歳、夏。

初めて彼氏ができた。

でも、実際にデートしたのは3~4回。

2ヶ月程度付き合った。

看護学生の一番大変な実習クールの前日に、「元カノが忘れられない」とフラれた。

 

 

 

 

 

 

一番大変な実習クールの前日という最悪なタイミングだったけれど、忙しかったので悲しむ間も無く21歳、秋になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある人からツイッターをフォローされた。

住んでる県が同じとのこと。

 

 

 

 

 

 

実習期間は実習記録が大量にあって、夜は話し相手が欲しいものだ。

 

 

 

 

 

ツイッターで通話相手、いわゆるさぎょいぷというものを募集したらその人が名乗り出てくれた。

 

 

 

 

 

10月8日。初めてその人とSkypeをした。

実習記録が終わるまで話し相手になってくれた。

面白くて楽しい人だな~という印象だった。

次の日もSkypeしようと話し、その日は終わった。

 

 

 

 

次の日もSkype、またその次の日もSkype。LINEを交換し、毎日LINEをしていた。

 

 

 

 

 

 

多分、お互い惹かれあっていたんだと思う。

毎日LINEをし、毎晩電話をして、習慣になっていった。

 

 

 

 

 

 

10月24日、知り合って2週間で初めて会うことになった。

「水族館にいきたいね」という話しから、一緒に水族館に行く約束をした。

 

 

 

 

 

 

毎日話していたおかげで初めて会った気がしなかったし、何よりとっても楽しかった。居心地が良かった。

 

 

 

 

 

夕暮れ時、公園で気持ちの良い風にあたりながらベンチに座っていると、告白をされた。

 

 

 

 

 

初対面だったが、迷うことなくお付き合いを始めた。

初めての彼氏と別れてから約1ヶ月後のことだった。

 

 

 

 

 

お互い、住んでいる場所は少し離れていたので、週に一度、1時間半かけて行き来していた。

 

 

 

 

私は国家試験前で勉強が忙しかったけれど、それなりに遊んだ。

 

 

 

 

国家試験に合格し、看護師になっても忙しかったけれど、それなりに遊んだ。

 

 

 

 

交際は順調だった。

そして、恋人から東京行きの話をもらった。

一緒に来ないか?という話だった。

 

 

 

 

 

私は社会人一年目の途中だったが、行かないと別れてしまうかもしれない、と東京行きを決めた。

 

 

 

 

 

もちろん東京行きは簡単なものではなく、母に東京行きの話をしてからは母と喧嘩ばかりの毎日。

猛烈な反対を受けて、心が折れることもしばしばあった。

「もう私はいいから、あなた1人で東京に行ってくれない?」って恋人に言ったこともあった。

 

 

その度に恋人は、「一緒に行きたいんだ」と思いを伝えてくれて、私の母に説得してくれた。

時には私の実家に2人で乗り込んだこともあった。

 

 

 

 

反対を押し切り、22歳、春。

恋人と上京した。

 

 

 

 

上京してからは恋人との2人暮らしが始まった。

2人暮らしはとても楽しいものだったが、時には喧嘩をして別れ話をすることもあった。

 

 

 

 

2人は何度も困難を乗り越えながら、仲良く生活している。

 

 

 

 

 

 

23歳、夏。

1000日記念日のディナーの時にプロポーズをされた。

 

 

 

 

 

 

24歳、10月24日、秋。

丸3年付き合った記念日に入籍をした。

 

 

 

 

 

フォロワーが恋人となり、婚約者を経て夫になった。(夫とか照れる)

 

 

 

 

 

私の人生の中で、上京するなんて夢にも思わなかった。

ましてはフォロワーが夫になるとは思わなかった。

 

 

 

 

 

付き合ってから、いろんな経験をして、言えることがある。

 

 

 

 

 

 

“人生何が起こるか分からない”

 

 

 

 

 

 

たぶん、この先の未来も想像していないことがたくさん起こるんだろうなと思う。

 

 

 

 

 

 

今、人生が本当に楽しくて楽しくて楽しくて仕方がない。

そう思えるのは、いろいろな経験をさせてくれる夫のおかげ。東京につれてきてくれた夫のおかげ。

本当に感謝でいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

まだ見ぬ未来、ワクワクする未来、楽しい未来、2人で一緒に過ごしていきたい。

4月30日





小さい頃から、料理が好きだった。








物心ついた頃から、母と一緒に料理を作ったり、お菓子を作ったりしていた。









エプロンをつけてもらって、材料を準備してもらって、にこにこ楽しく作るのが好きだった。









お菓子の焼けるいい匂い、料理が出来ていく過程、とてもわくわくするものだった。









小学一年生の時、ピカチュウの子ども用の包丁を買ってもらった。



“自分の包丁”を持てたことが嬉しかった記憶がある。

本物なのだろうか、と刃に指先を滑らせたことがある。

もちろん本物だったので切り傷ができて血が出た。

そして母に怒られたんだっけ。












小学二年生の時、両親が離婚した。





パートだった母は、フルタイム週五日で働くようになったため、母と一緒に料理することは、めっきり少なくなった。








その代わりに、私が夕食を準備する機会が増えた。









その当時、得意だった料理はチャーハン。









ピカチュウの包丁で野菜を刻み、ごま油で米飯と野菜を炒め、塩胡椒と醤油で味をつける。










「ママのより美味しい」とよく母に褒められて、得意げな顔をしていた。










年齢を重ねるうちに、作れるものはどんどん増えていき、ある程度の家庭料理は作れるようになった。













恋人と付き合い始めて、料理を振る舞う機会が多くなった。

2人暮らしを始めてからは、料理は私の担当だ。









私の料理は特別美味しいものではない、普通の味。









ただ、季節感や栄養は考えて料理をする。

その季節のものを使い、新鮮な食材を選ぶ。









最近浮腫んでるなと思えばカリウムを多く含む食材を選んだり、昨日恋人は飲み会に行ってたなと思えば、野菜中心の食事にしたりする。








何かイベントがあれば、凝ったイベント料理も作る。











自分や相手のことを想って、

料理を作ることで2倍も3倍も楽しくなってくる。












SNS映えを狙って写真を撮ったりもするが、相手がにこにこ美味しく食べてくれたらそれだけでいい。作ってよかったと思えるのだ。










食事は生きていく中で重要なものだと考えている。






そして食べることは大好きなので、フィジカル的にもメンタル的にも私の中では重要な役割を担っているものである。









これからも、ずっと料理を作り続けると思う。食事は大事にしていきたいし、楽しく料理を作っていきたい。

機会があれば、たくさんの人に振る舞いたい。













そういえば、恋人にチャーハン作ったことないな。



今度作ってみようかな。





1月26日




朝、起きて窓を開け、

ツンとした冷たい空気を吸い込みます。




「うー、さむ...」と言いながら、

洗面台へ行き、洗顔をし、保湿をする。




キッチンへ向かい、フライパンを温める。




冷蔵庫を開けて、右側にある卵を取り出し、

フライパンに落とし入れる。




「ジュワッ…パチパチ…」




いい音がする。





白身はカリカリ、黄身はトロリとするまで、

熱々のフライパンで焼く。





トースターにパンを入れる。





一旦5の目盛りまで回し、3に合わせましょう。





トーストは焼きすぎてはいけません。

水分を飛ばしすぎてはいけません。





陽だまりで眠っている

茶トラ猫の毛並みのような色が目安ね。





熱々のトーストには、たっぷりのバターを。

みるみるうちに吸い込んでいくバターを眺める。





そろそろ、目玉焼きが出来上がるかな。





サラダをよそった花紺藍色のお皿に、

目玉焼きを乗っける。





あ、そうだコーヒーでも淹れようか。









朝ごはんを食べて、毎日が始まる。






今日何があったっけ?

今日何を思ったっけ?






そんな日記も書けないような何にもない日にはしたくない。





何にもない日になりそうだったら、






お花を買って帰ろう



少しリッチなお菓子を食べよう



楽しい予定を立てよう








みんなの毎日が

少しでも良い日になりますように、アーメン















10月20日


はーい、ゆるいだよ



前回ブログを書いて随分時間が空いてしまったけれど

「ゆるいが気が向いたら書くやつ」

なので…




いつのまにか、10月になりましたね

しかも、もう10月も終わりそうになってる

月日が進むのは早いね




東京にきて、半年が経ちました

半年の間、いろんなことがあったけれど、

とてもたのしく過ごしているよ




ブログを書こうと思ってもテーマがなくて

ツイッターで聞いてみて提案してもらった

テーマで書いてみるね






⁂ おすすめのお店



ゆるいがおすすめしたいのは、

上野にある「黒船亭」という洋食屋さん



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明治に創業された老舗の洋食レストラン

昔ながらの洋食を提供してくれます


ジョンレノン夫妻も訪れたとか…



是非食べて欲しいのが、オムライス!

これは絶品です



しっかり焼いているたまごのなかに、

具がゴロゴロ入ったチキンライス、

上にかかっているケチャップも酸味があり、

本当にまとまった味のおいしいオムライスです



ポイントは、チキンライスの中に入っているエビ!

具としてはびっくりするくらい大きなエビが

ゴロッと出てくるの!




是非、上野まで食べに行ってね






⁂  日常の可愛い発見



通勤は自転車なのだけど、

その途中で最近よくお花に目が止まる


「可愛く咲いているなあ」って思う


秋だからそんなに多くは咲いてないんだけど、

匂いに誘われて見てしまう



空気が冷たくなってきて、澄んできているから、

匂いに敏感になってる気がする




秋や冬のほうが、よく香る




例えば、金木犀、冬の匂い…





そうそう、冬の匂いの正体って知ってる?




あれは、匂いではないとのこと

鼻で感じた冷たさの記憶なんだとか。



嗅覚で感じ取った寒さを、

無意識に“匂い”として例えて

表現しているんだって。



気温の変化を鼻で感じ取り、

脳で「冬の記憶」として記憶して、

毎年寒くなり、気温の変化を鼻で感じると、


「冬の匂いがした」


と思うんだって。









今、10月20日18時42分。

仕事終わりの恋人と美術館にきているところ。

恋人が仕事のメールをしないといけないとののとで、

カフェテラスに座ってる。


近くでサクソフォーンのミニコンサートを演っていて、

ジャジーな空間に包まれている。


わたしは、ホットコーヒーを飲みながら、

グッドミュージックを聴きながら、

ブログを書きながら、

恋人を待っているところ。



みんなはなにしてた?

金曜日だね、いい1週間だった?





それでは、また気が向いた時に。




6月1日


はーい、ゆるいだよ


6月1日は休みだったんだけど、何も予定なかったからとにかくやりたいことを紙に書き出してみた。


そうしたら恋人が、

「新宿行ってきなよ」

って提案してくれたので、朝から新宿へお出かけした



9:57 都庁45階


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まずは展望台があると聞いていた都庁へ。

北展望台と南展望台があってどっちに行こうか迷った。

迷ったというより、どっちに行けばいいのか分からなかった。

とりあえず、人が並んでいなかった北展望台へ。


手荷物検査を受けて(かばんの中を見せるだけ。あの検査は意味あるのでしょうか。)

エレベーターに案内されて1分弱で45階へ。

外国人観光客と修学旅行生しかいない!


見渡す限りビル!ビル!ビル!

ビルしかない。山とか海とか田んぼとか見えない。

田舎育ちだから違和感しかなかったけど、これが首都、東京か。


とりあえず、写真撮って3分くらい眺めて満足した。

"来庁記念"のスタンプがあったから観光客になったつもりで、持っていたメモ帳にスタンプした。

ひとりだったけど恥ずかしがらずに堂々と。

3種類スタンプがあったから3種類ともスタンプした。

ひとりだったけど恥ずかしがらずに堂々と。



11:04  エルタワー28階


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「高いところまで登れるよ」って

友達に教えてもらった。

Nikonサロンがあった。写真好きの友達だからこの場所を知ってたんだろうね。

エルタワーの28階に登ろうとおもう?

まあ、エルタワーが何のビルか知らないんだけど。


28階までエレベーターで登って写真撮って帰るだけじゃ不自然だと思ったから、写真好きのふりしてNikonサロンに入ってみた。


カメラとかレンズがとにかく高そうにディスプレイされてた。

ピッカピカのショーケースに入って照明が照らされてた。


オープン価格としか記載がなかったからいくらのものか分からなかったけれど、高そうだった。



11:21  長崎物産展


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ビルの外に垂れ幕が下がってて吸い込まれるように会場へ。

九州出身なので、惹かれた。


物産展はすき。試食おいしいもん。

いろいろ周ってたら、

「九州特有の甘いお醤油ですよ!」

って何度か言われた。

からいと思わなかったから九州のお醤油使ってるのわかる。

九州の甘いお醤油が好きなので、他のお醤油はからいと思ってしまう。


この話を友達にしたら、

「九州の人は醤油のこと"しょっぱい"じゃなくて"からい"って言うよね。」

って言われて、ハッとした。

お醤油はからいんじゃなくてしょっぱいんだ。



11:55  お昼ご飯 おむすび定食


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駅にあったおむすび屋さん。

新潟県コシヒカリ、どっかの海苔、どっかの塩にこだわってるおむすび屋さん。


十六穀米のおむすび。具は鶏そぼろと鮭。

それに、焼き鯖と卵焼きとお漬物、そしてお味噌汁。


もうこれで十分。お米大好きなわたしにとったらごちそうだ。



12:48 ディスクユニオン


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中古CD屋さん。

音楽を拗らせてるわたしにとったらこういうお店の方がアツイ。

タワーレコードとかHMVとかにはなかなか置いてないCDがあったりする。

KANA-BOONが1枚しかないのに、ゆらゆら帝国とか全部揃ってたり。はっぴぃえんどとか。


お客さんも大人の男の人しか居なかった。

30〜50代くらいの男の人。狂ったようにCD買ってた。売るようなのかな?



13:08 ルミネエス


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お洋服を買いにルミネエストへ。

一通り見たけど特に気にいるものはなかった。

ショップ店員、あんまり可愛くない。

福岡のショップ店員の方が断然可愛いと思う。



14:04 らんぶる


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疲れたから休憩したいと思ってフラフラしてたら、友達から、

「お茶しない?」

というお誘いが。


純喫茶のらんぶるに行った。


古い昭和の匂いがぷんぷんする店内、綺麗とは言えないけれど、店内はピカピカ光ってる。

赤いソファー、落書きのあるテーブル、味がある。


アイスコーヒーを飲みながら友達を待った。

少しして友達がやってきたからお喋りした。


どれくらい話したかはっきり覚えてないけど、

友達が仕事に戻るというのでお別れした。




ここから記録してないけれど、

ファッションビル(名前忘れた)に行って、

ワンピース2着とサンダルを購入した。


カジュアルなワンピースと綺麗目なワンピース。

どっちかに決められず、2着買ってしまった。

けれど後悔はない。はやく着ておでかけしたい。




それから、帰宅してお夕飯の準備。

ざるそばとおいなりさん。


油揚げを油抜きして甘い煮汁でぐつぐつと煮る。

冷ましながらおいしいお揚げを作る。

寿司酢を作り、硬めに炊いたごはんにまわし入れて粗熱をとる。

お揚げの中にごはんを詰める。


大きなお鍋にたっぷりの水を沸かす。

お蕎麦を5分茹で、冷水でしめる。


作り置きしていた小松菜の煮物とひじき煮をレンジでチンして盛り付ける。


長芋をすり、とろろを作る。


食卓に並べる。いただきますをして恋人と食べる。


何故か、普通のざるそばなのにとても美味しかった。



考えられる要因として、


①お皿ではなくざるにお蕎麦を盛ったからお蕎麦屋さん気分になれた

②とろろが美味しかった

③めちゃめちゃお腹すいてた


たぶんこれらだろう。

まあ、美味しければなんでもいい。




想像以上に長々となってしまった。

長いわりに、中身がない。

疲れた。おわり。