3月25日
3月22日 ばあちゃんが息を引き取った
3月2日に78歳になったばかりだった
1月に脳梗塞で入院した。
あんなにお喋りだったばあちゃんは、言葉を発することが出来なくなり、意思疎通困難となった。
口から食べることもできなくなり、鼻から管を入れて栄養剤を入れていた。
元々リウマチもあり、車椅子生活で身体は不自由だったが、脳梗塞で寝たきりになった。
入院中に骨髄炎を起こし、さらに状態は悪くなった。輸血が必要なほど貧血にもなり、白血球もグッと減っていた。
なんとか治療を続けていたが、21日の夕方、母から「今日は病院に泊まる」と知らせを受けた。
看護師をしているから、その理由は十分にわかる。ばあちゃんの容態が危ないからだ。
でも母から話を聞くとまだもう少し大丈夫そうだった。
24日が夜勤明けだったため、その後に地元に帰るつもりだった。
22日の朝、脈拍が下がってきて、呼吸も変わってきた知らせを受けた。ばあちゃんが危ない。
日勤予定だったため、まず職場に行き、上司に直談判。ばあちゃんの容態が危ないから今すぐ地元に帰りたいと伝えた。
上司もすぐに勤務変更を組んでくれて、
「これで帰れるよ、行ってきなさい」と言ってくれた。職場の人たちも受け入れてくれ、見送ってくれた。
その場で涙が溢れてしまった。
バタバタ準備して航空券を予約しながら羽田空港へ。
脈拍も20台まで下がっているという連絡を受けながら、「どうか間に合ってくれ」という気持ちだけで福岡へ帰った。
空港からタクシーで病院へ行き、病室へ入るとまだばあちゃんは生きてた。
相変わらず脈拍は20台であったが、一生懸命呼吸していた。
ばあちゃん、と声をかけると、目をガッと開けて「あぁ…」という声を漏らした。
すでにかけつけていた家族は、「初めて目を開けて声が出た」と驚いてる様子。
どうやら、わたしがきたことが分かったみたいだった。しかしその15分後、心停止。
声をかけるとまた心臓が動き出し、チェーン・ストークス呼吸であったがまた息を吹き返した。
そんなことが3~4回繰り返されながら1時間後、みんなに囲まれて死亡が確認された。
仕事柄、死亡確認に立ち会うことは多いが、
やはり自分のばあちゃんとなると状況は違う。
死亡確認の後、走馬灯のように、ばあちゃんとの思い出が駆け巡り、視界がぼやけ、大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちてきた。
最後は本当に穏やかな顔をしていた。
看護師として、たくさんの人を看取ってきたが、あんなに穏やかで綺麗な顔は、ばあちゃんが群を抜いて1番だった。
朝からずっと脈拍が20~30台だったとのこと。
ばあちゃんよくがんばったね。痛かったね。つらかったね。
心から間に合ってよかったと思った。
看護師とともにエンゼルケアを行った。
まだあたたかくて、また目を開けるのではないかと期待してしまう。
出血の跡などを綺麗にする。
たまに、呆けたことを言うがまだ頭もしっかりしてたばあちゃん。
わたしが地元に帰るととても喜んでくれて、たくさん近況を聞いてきたばあちゃん。
結婚を本当によろこんでくれたばあちゃん。
わたしが東京に行く時、他の家族には猛反対されたが、唯一賛成してくれて背中を押してくれたばあちゃん。
わたしには父がいないため、わたしにとってたった1人のばあちゃん。
子どもの時から本当に可愛がってくれて育ててくれたばあちゃん。
元気な頃は庭中お花だらけにして、お花が大好きだったばあちゃん。
まだ78歳だったばあちゃん。あまりにも早すぎる。生きてるうちに夫を紹介したかったな。なんだかんだ都合がつかず夫を会わせられなかった。
ひ孫を抱かせてあげたかったな。
一緒に桜を見に生きたかったな。
まだまだたくさんお喋りしたかったな。
思い返すと、涙が溢れてくる。
1月にばあちゃんが脳梗塞になってだんだん悪くなり、初めて東京に出てきたのを悔やんだ。
地元にいれば、もっとばあちゃんと時間を共有できたのに、と後悔してもしょうがない。
葬儀場に来て、ばあちゃんの話をしながらみんなで泣いた。
日本のしきたりはとても細かくとても多い。葬儀のため、あれやこれやたくさん決め事があった。
母を中心に、悲しむ間も無く淡々と葬儀の話を進めていた。
じいちゃんは「いくらお金をかけていい。花が大好きだったからお花畑みたいにしてほしい」と言った。愛を感じ、胸が温まった。
お通夜、お葬式などを終え、納棺の時
棺の中にたくさんのお花をこれでもか、というくらい入れた
本当にお花畑の中で眠っているようだった
火葬の前、「最後のお別れです」とのアナウンス
ばあちゃんの姿がなくなってしまう、顔が見られなくなる、触れなくなると思うと、嫌で嫌でしょうがなかった。
「やだ…やだ…」と言いながら子どもみたいに泣いてしまった。涙が止まらなかった。
火葬を終え、収骨を終え、すべて終わっても、未だにばあちゃんが居なくなったことに実感が湧かない。
家族で揃った時に、ばあちゃんが居なくても、まだ病院に入院してるんだろうなと思ってしまう
だいすきだったばあちゃん
本当に居なくなってしまったの?
天国では、リウマチの痛みが取れ、
病気とは無縁で、
たくさんの人とお喋りをして、
美味しいものを食べて、
お花に囲まれて、暮らしてほしい。
そしてわたしたちを見守っていてね
喪失感に溢れている私は、明日からの仕事のため東京へ戻ってきた。
いつもと変わらぬ仕事がある。
4月には結婚披露パーティーもあるし、旅行もある
ずっと落ち込んでいるわけにもいかない
気張っていこう
ばあちゃんとの思い出を胸に刻みながら
明日からの日々を過ごしていく